古本屋・古書店 埼玉県公安委員会公認古物商免許(第431070025592号)
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2020年10月11日
新規入力13点です。
『中央公論』、文芸書。

曇り。
台風は上陸せず変な角度で南へ曲がっていった。
遅かったのでその近辺の人は大変だ。

『現代詩手帖』2020年9月号の「現代詩アンソロジー 2010-2019」の座談会の中で瀬尾育生が自分のことを「八〇年代の人間」といっていたことにおどろいた。それがどういうことなのかは十分説明されていない。1973年のぼくは1980年代が小中学校時代に重なっており、自分のことをまさに80年代の人間とでもいいたい気持ちがあったので、1948年生まれの瀬尾育生が「八〇年代の人間」といっていることにはおどろいてしまったわけだ。それなりに理屈があることだと思うし、これまでにそういうことをいってきたのかもしれないが。
2020年10月07日
新規入力26点です。
『中央公論』、詩集など。

雨が早くも。

チョップというのは攻撃方法としては効率がわるいというようなことはたぶんだいたいの人が子どものころ思うようなことだと思うが、いまそれを思い出すのはどういうことなんだろう。
チョップは手を守っているのだろうか。しかし攻撃として弱ければ、戦いが長引き結果的に手以外の部分もダメージを負うことになる。まあもちろん、強烈な人間によるチョップなら一発で死ぬこともあるのだろうが、その場合でもわざわざチョップにする必要というのは、拳などが禁止されている場合だけだろう。格闘技だとか儀式だとかそういう必要からやっているのか。やはりチョップは実践では使われないのか。大きな問題ではないが。
2020年10月04日
新規入力16点です。
詩集ほか。

雨が降ってきた。
それほどではないみたいだが。

TBSラジオの「ACTION!」が9月で終了していたらしい。
その後番組が荻上チキの「Session」らしいのだ。
2020年10月02日
新規入力11点です。
詩集ほか。

晴れ。

「ドラえもん」の初代声優死去ということで、日本テレビで1973年に放送していたバージョンというのをよく知らなかったことを知った。
ドラえもん百科みたいなものに書いてあったかもしれない。年だけは薄く記憶にある。
YouTubeにオープニングとエンディングテーマがアップされていた。
何かオープニングがエンディングのようで、エンディングがオープニングのような曲だが、それはいいとして、オープニングの曲を知っていたのだ。
見たことはなく、たぶん何らかの音源を持っていたのだと思う。知っているというか歌える。ニセテープだったろうか。
2020年10月01日
新規入力11点です。
『中央公論』。

晴れ。
雨がどうとかいっていたのは消えたのか。

「思い」ということばが最近ラジオで多用されていて気持ちわるい。ないところにあるかのように押し立てようとする姿勢が見えてくるのだ。「気づき」も気持ちわるい。気づくのは別にいいのだが、「気づき」といったとたん、向こうの、そう見たい見方に強制的に当てはめさせられているようで気持ちわるくなる。要するに、「動かない」スピリチュアルな人間像を押し立てたいのだ。その姿勢のままで、「思い」「気づき」を持つことをキラキラしたすばらしいものとして提出したいのだ。それ以外の人間像ははじきとばす。
2020年09月30日
新規入力21点です。
レビューパンフレット、詩集ほか。

晴れ。
いい天気だ。

いつごろからだろう。
今の文芸書などに多く使われている紙というかコーティングなのかがすべりやすすぎる。つるつるの紙よりはるかにすべりやすい。たしかに風合いはいいとは思うが。重ねて持つとすべって落下という事故が多い。たぶん新刊屋も困っているのではないか。前にも書いた気もするが。
2020年09月29日
新規入力16点です。
『中央公論』、旅行案内パンフレットほか。

曇り。
今日の天気予報を見ていない。

かつや躍進というニュースが目に入る。
ぼくの行きつけだった渋谷宮益坂と五反田が両方なくなった点からして違和感のあるニュースだ。いま行っているのは渋谷の道玄坂に近い店だが、ここはかつやの利点である100円引券が使えないので不満だ。かつや自体はうまいし値段も手ごろなので支持しているのだが。
そういえば宮益坂のかつやのあとにできた東京たらこスパゲティとかいう店は長蛇の列になっていた。たぶんかつや系列なのだろうか。だとしたら閉店して大成功ということになるのか。いやかつやのときもそこまですいていたわけではないのだが。
2020年09月28日
新規入力11点です。
『中央公論』。

晴れ。
朝冷えたが気温は上がった。気持ちがいい天気。

相撲が微妙に盛り上がっていたようだ。
「しょうだい」とかいってもことばでしか知らない。「とびざる」など今日はじめて聞いた。新入幕だそうで。
横綱がいま出てないみたいだが、ぼくがバイトで横綱をやってみたらどうなるだろうと考えてみた。地獄の15日間である。相手が来る前に土俵の外に逃げようとしてもたぶんけがをする。古本屋がそういうことに命をかける価値があるのか。まあ別にいいだろうという気もする。
2020年09月27日
新規入力16点です。
『中央公論』、『杉本つとむ著作選集』、太宰治、上林暁、川崎長太郎ほか。

晴れ。
曇りも晴れた。

前の小学校で運動会をやっていた。運動会自体は嫌いではない。しかし目の前で大音響は好ましくない。あと、今年は保護者を呼ばなければいいのにと思った。今年はそこまでマナーが悪い気はしなかったが。
11時にもう終わってしまった。縮小していたのだろうか。いつも2時くらいまではやっているのに。練習もあまりしていなかったようだし。応援合戦とかいつも練習がうるさい。そういった類のものがなかったみたいだ。
2020年09月23日
新規入力7点です。
『新青年』、宗教ほか。

雨。
明日けっこう降る予報。台風はもしかしたら当初の予想よりはなれる。ただし降る。

少し思いついたことがあった気もしたが、いざ今これを書いている時点になると忘れている。
たいしたことではないと思うが、思いついた時点でメモしておいたほうがいい。
集合住宅にいるときは自分でやる必要もなかった屋根や樋の掃除というのは調べるとやはり業者に頼んだほうがいいらしい。
しかしそんなことも人に頼むのかと憂鬱になる。
2020年09月21日
新規入力4点です。
『新青年』ほか。

晴れ。
また木金って雨とか。

Google Play Musicが終わるとか終わったとかで、またデジタル音楽から遠ざかる。
使いはじめたばかりだったのだが。
YouTube Musicに統合されてしまうのだが、そのアプリが端末に入れられない。
パソコンで聞くだけなら普通にYouTubeできいても同じだし。
どうもデジタルで買うというのに抵抗があるというか。
デジタル配信しかしてないようなものを仕方なく買ったことがあるくらいだ。
別の意味で定額制もきらいだ。
というかみんなどうやって音楽と接しているのだろう。
圧倒的に無料で残るとか残らないとかどうでもいいという感覚だろうか。
2020年09月20日
新規入力13点です。
文芸書ほか。

曇り。
午前中雨が降っていた。11時すぎにやんだ。

2020年09月17日
新規入力16点です。
共産主義関係発禁本など。

曇り。
明日明後日暑いらしい。

何でみんな簡単にスマートフォンにできるのだろう。
というか、スマートフォンを維持できるのだろう。
実際、貧乏人というのはかなり少数派ということなのだろう。
2020年09月15日
新規入力20点です。
共産主義関係発禁本など。

曇り。
エアコンをつけてなかったが蒸してきたのでつけている。

2020年09月14日
新規入力16点です。
詩集など。

曇り。
ちょっと蒸してきたかな。
わりと涼しかったが。

アンカラのポラトル郡というところで砂塵が巻き起こったとのことで写真も出ていた。
ポラトル自治体の首長はいままでにポラトルで経験したことがないというようなことをいっていて、
報道でも「50年に一度」というような書き方になっている。
このポラトル郡というのは、日本でいう郡とは違うものなのだろうか。
日本の郡には首長のようなものはいないはずだ。
いやよく調べてみないとわからないが。
郡に所属している町村のどこかの首長が郡の長みたいなことになっているのだろうか。
いままで考えたこともなかったが。
そもそも日本の郡は自治体というわけではないと思うが。
2020年09月13日
新規入力12点です。
『民話』、雑誌、詩ほか。

曇り。
予報より気温が上がっていない。
雨が降りそうで降っていない。

2020年09月09日
新規入力14点です。
戦時体制関係など。

晴れ。

田島列島『水は海に向かって流れる』の3巻、今日発売か。
『子供はわかってあげない』ほどの衝撃はなかった。なにか一つのことでうだうだしている感が強い。
2020年09月08日
新規入力17点です。
『新潮』、戦時関係ほか。

曇り。
また暑い日。

ほるぷの『日本の詩』の別巻として刊行された木原孝一『日本の詩の流れ』はなかなかわかりやすい。
たぶん資料調査は別の人がやっているのだろうが。
このケースがそうだとはわからないが、もっと文学研究者と文筆業の共同作業が、両者の名前を明示するかたちでおこなわれたほうがいい。
文学研究者の研究論文はあまりに文章が稚拙な場合が多い。
2020年09月06日
新規入力8点です。
明治・大正期雑誌。

雷雨が来ていた。
いまおさまっているがまた来るんだろうか。

トルコの映画についてのニュースが二本翻訳されていたが、両方ともてにをはがおかしかった。
しかし、そういうことをおかしいといっていられないのかもしれないと思った。
それが標準だということになりかねない感じがあるからだ。
ことばは変化していく、それはわかっているのだが。
ツイッターで鴻巣友季子が紹介している。学術論文の中の論者の文章と引用の文章の区別がつかない学生が増えていると、大学で教えている人がいっていた、と。「読みたいようにしか読まない」と。
ぼくは警鐘など鳴らすつもりで書いているわけではない。
警鐘を鳴らす気持ちにはどこかで「正当」なありかたが信じられていなければならない。
それが消え去りつつある。
以前、短歌の読み方で、「どう考えても普通に読めばこうなる」という読み方を否定する意見が一定数を占めたことに驚いたことがある。
まさに見えているものがどうであれ、「読みたいようにしか読まない」ということがそこにあった。
もう間違っていることは問題ではない。
注文の返信メールにいくら明白に書いても無駄なことだ。
「読みたいようにしか読まない」が標準であり、そういう世界で「伝達」は困難になっていくばかりだ。
というか、ずっとそうだったのかもしれない。
2020年09月03日
新規入力7点です。
明治期雑誌。

曇り。
風が吹いている。

1950年代が70年前のことになってしまったことにショックをおぼえた。
その時代の映画に出ていた人はほとんど存命ではないだろう。
自分が普通に生きていた1980年代にはまだ30年しか前ではなかったのかという感慨。それでも全然前のことに思えていた。まあ生まれる前ということでほとんど一括されていたということか。
いまから30年前の1990年はついこないだとまではいわないがわかる範囲のことだ。
25年位前からすべてついこないだだ。
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