古本屋・古書店 埼玉県公安委員会公認古物商免許(第431070025592号)
ホーム店日記2011年12月
2011年12月
店日記:17
2011年12月29日
新規入力15点です。
マックス・ヴェーバー関係の本中心です。

ヴェーバーとかウェーバーとか表記が統一されないので
検索的に不便だ。
ヴェーバーがドイツ語的な読みでウェーバーは英語読み?なのかな。
フロイトなどはフロイドは消えてたぶんほぼフロイトに統一されているのに、
ヴェーバーはどうも統一されていない気がする。
気のせいかな。

というか前から気になっているのは、
北朝鮮とか韓国などの場合、たとえば金日正にしても、ハングル読み(といっていいのか?)で「キム・ジョンイル」などと、元の読み方(に近いかたち?)で読んでいるのに、
中国の要人の名前、たとえば温家宝は、日本の漢字の読み方(漢音で読んでいるのかな?わからないが)「おんかほう」で読んでいることだ。
あれの理由がわからない。
名前なんだから元の読み方でいいんじゃないの?とか思うんだけど。

同じ中国でもたとえば映画監督の王兵は「ワン・ビン」とかなっている。
政治家だけ日本の漢字読みにするのは不自然だと思うのだが。
わからない。
地名なんかは不統一なのもわかる気がするけど。
そのときどきでそことどう関係してきたかということでも変わるだろうし。
2011年12月28日
新聞やなんかで今年の本ベスト3みたいなアンケートなりが行なわれている。
そこで自分でも考えてみる。
うーん、やっぱり、「この質問はむずかしい」。
本を読む仕事をしている人はいいのだが、
怠惰な読書しかしていない自分などは、
今年出た本を今年のうちにすぐ読むということが少ない。
それでも今年はすぐに読んだほうだとは思うのだけど、
確実に面白いと思っていながら、
途中までしか読んでいなくて、それを挙げられないというのにはやっぱりなんだか違うんだよなって思ってしまう。

たとえば青木淳悟『私のいない高校』、鈴木志郎康『結局、極私的ラディカリズムなんだ』、ロバート・ヘンライ『アート・スピリット』、ジョナス・メカス『メカスの難民日記』など。

そこでやっぱりここには編集者もいないわけだから、
「今年読んだ本」にしてもらって、
それでもって3冊というのもなんだかぼくのなかでは中途半端な数字なので
10冊にして、いまから選んでみたい。

読んだ本をメモしておくようにはしているのだけど、そのメモ自体を忘れるので不完全なベストになりそうだけど。


つまらないセレクトになったので発表をやめる。
2011年12月27日
新規入力12点です。
石井進編の日本中世史研究書、詩ほかです。

いつのまにか27日。
これは驚くべきことだ。
先週が早かった。
なんで。
10日くらいぶっとばしてしまったようだ。
先週何してたのか。

昨日自分としては今年最後の市場に行ったが、
何も落札できず。
何のために行ったんだか。
年賀状もまだ書いていないし。
けどいっぱい書く人は大変だ。
それだけでまとまった金が出て行くし。
だけどまめなほうがいいと思う。
思うが、ほんとうになんともいえない。
結局、敏感でもないし、考え方もしっかりしていないから、
人が何か意見をいうと、そうだよなって思うのだ。
それと対立する意見をきいてもやっぱりそうだよなって思うし。
これも前書いた。
同じことばかり思っている。
2011年12月25日
最近気になること。
どうもこれは感触にすぎないのだけど、
「幼稚」な論理でものが動いている感じがするのだ。

上杉隆が「週刊・上杉隆」で「堕国論」というのを書いて、ジャーナリスト休業宣言をした。
あいかわらず文章が「幼稚」だった。
批判したいのではない。
ジャーナリストの役目として、
「きちんと取材してそれを人びとに知らせる」というような基本を守り、
それができない環境を摘発しつづけてきた人だ。
そうじゃなくて、ぼくが思ったのは、
もうすこし「人文科学的な苦悩」をしてもいいんじゃないか?っていうようなことだ。

「人文科学的な苦悩」っていっても自分でも何がいいたいのか実ははっきりしていない。
違和感があるということなのだが。
たとえば、小出裕章『原発のウソ』にも同じことを感じた。
原発に関する研究はまともなものなのだろう。
ぼくに検証する力はないが、説得された。
だけど、最後にいきなり出てくる「理想」、
この「理想」自体が悪いとかいうわけではない。
その「理想」が出てくるまでに「人文科学的な苦悩」を通ってないから「理想」が浮いているのだ。

最近、文学の方面でも、「希望」を語ろうという動きが目立つように思える。
いや、まだ文学の方面では、「苦悩」に拘泥しつづけている状態をよしとする雰囲気が残っていて、
「苦悩」しつづけることに不毛を感じた人たちが、
「希望」を語りはじめたのかもしれない。
どうも勘が鈍く、そこらへんよくわからないのだが。
ただ、こう思う。
「希望」は簡単に勝利するだろう。
「希望」だけが勝利する。
みんながあえいでいるのをよそに「希望」だけが勝利する。
そんな気がする。
違うのかもしれない。

「苦悩」でも「希望」でもなく、「具体性」なのかなってふと思うこともある。
だけどやっぱりよくわかんないな。
こうしてふらふら書いていること自体が「具体性」に欠けているわけだし。
よくものを考えられない人の典型だ。
すくなくとも「アイディア」は出すべきかな?
だけど急に「規格外」にあこがれたりして。
2011年12月24日
新規入力21点です。
日本文学ほかです。

少し元気になると、弱っていたときのことを忘れて、馬鹿なことをいいはじめる。
困ったものだ。

TBSラジオが開局60周年でいろいろ特番をやっている。
いま、開局前夜祭かなにかを、視聴者参加で再現するというドラマをやっている。
さっきスペシャルゲストでペギー葉山が出ていた。
笠置シズ子はやはり型破り的にすごかったらしい。

笠置シズ子のことを前も書いた気がする。
前も書いた気がするとき、それを書かないほうがいい気もする。
けど結局書くと、
ぼくなどはやはり笠置シズ子といえば録音とか、
歌手をやめてからの活動しかタイムリーでは知らない。
いまでも笠置シズ子の録音ではこの3枚組CDが一番拾われているのかもしれない。
それを愛聴している。
それだけでも楽しめるが、
笠置シズ子の当時の威力というのは知識でしか知らない。
小林信彦が書いていたこととか。
小林信彦が1932年、ペギー葉山が1933年生まれなのかな?
さっきいっていた気がする。
たとえばぼくは小学校のころ、クレイジー・キャッツに興味を持ったが、
こうやって同時代を知らない人が「好きだ」とかいうと、
何もわかっていないという声が飛んでくる。
小林信彦は再三書いていたと思うけど、
クレイジー・キャッツ(表記はこっちでよかったかな?「クレージー」と両方使われているから)は1番が舞台というかライブというか。2番がテレビで、映画は3番、
だから映画だけみて面白いとか「語りたがる」人をいさめている。

舞台のそのままの映像が残っていないらしい(かどうか知らないが)ので、
知りようがなかったのだが、
前にテレビで、何かの映画のひとこまで、クレイジー・キャッツの当時の舞台に近いものが再現されているというのをみたら、
それだけでも、たしかに、これだったら、そうかもねと思った。
うーん、そうだな、イッセー尾形と同時代に生きてて、生でみれているのは幸運なのだな。


追記)笠置シズ子→笠置シヅ子でした。
2011年12月22日
新規入力20点です。
日本文学ほかです。

吉田絃二郎とか。
吉田絃二郎て読まれなくなったのかな。
古本でよくあるから、はやっていたのだろう。
といってもぼくも「清作の妻」しか読んだことないんだけど。
「清作の妻」はたしか映画になっていたと思う。
それはみていないが、若尾文子だったかな? 増村保造監督かも。

「家政婦のミタ」、最終回視聴率40%、すごいね。
テレビがないのでもちろんみたことはないんだけど、
昨日、近所の食堂で、おかみさんがお客に、面白いよ。といっていた。
たしか、はじまる前に電車で広告が出ていて、
いまさら松嶋菜々子なのかと思った(同い年だ)。
もちろんくわしく松嶋菜々子を追っているわけでもなんでもないが、
ぼくのなかでは、松嶋菜々子は若さにまかせて一瞬輝いただけの、
そしてその余勢をかって実力はないけどただ出ているだけの、
ちょっと痛々しい存在だったのだ。
書いていて、ひとのことをそんなに悪くいうもんじゃないと思ってしまうが、
芸能人のこととかになると、ほとんど何かいてもいいっていうことになりそうでそれもいやなのだが。

ところが、先週の週刊誌でみたら、
「家政婦のミタ」が尻あがりに視聴率を伸ばしていることに触れ、
松嶋菜々子が、CMなども含め(パブロン?)、
ママさん女優的(違うことばだった気がするが)にイメージチェンジに成功したと書かれていた。
そうなんだそういうこともあるんだ。
「人のセックスを笑うな」でいいなって思わせた蒼井優にも「旬」なだけなのかって感じさせるところがあったけど、
うまくやってほしい。
一般人もしかり。
2011年12月21日
新規入力21点です。
日本文学ほかです。

100円本結局売れないまま、入れ替えている。
整理になるからいいのだけど。
出している量があまり多くないからなー。
お客さんのほうが「選べない」ということもあるんだろうけど。
これ以上増やすと管理が大変だし。

ごくシンプルな仕組みに注意する必要がある。
注意する必要がある。
注意してから、それでも、と決めればいい。
はなから誰がこういった彼がこういったていうふうになってもな
とも思うが、
やはりくるくるするのもいいか。
だけど仕組みにも注意したいよね。
わりとシンプルに考えるのってむずかしいし。

弟が帰国。
2011年12月19日
新規入力17点です。
日本文学などです。

なんか書くことないな。
北朝鮮のことが気にはなるけど。
別にそのことについて書くこともないし。

内面的な話ばかりしても読んでいるほうが退屈になるだろうし。
など書いているうちにいろいろなことが起こった。
この行と行の間で。
といっても事件が起こったのではなくて、
いろいろ。
いろいろだが。

月曜日は振替口座の通知が2日分まとめてくるので、入金確認がめんどくさい。
通知は郵送で来るため、日曜の配達がないのだ。
日曜の入金も(ネットからした場合を除いて)ないので、
火曜日には通知が来ない。
まあ入金がたくさんあればうれしいわけなのだけど。
しかしこの話も発展性がないね。
何かを意識しているみたい。
2011年12月16日
新規入力14点です。
民俗学と日本史と宗教学のジャンルを横断しているような研究でしょうか。村研究も。

「大竹まことのゴールデンラジオ」のきたろう、いいね。
きたろうが単独でいいというか大竹まこととのかけあいがいいのかな。

前「週刊文春」の連載コラムで小林信彦が、
どのメディアが信用できるかというより、どの人が信用できるかでみたほうがいいというようなことを書いていた。
(不正確な記憶だけど)

そうなんだけど、
この人のいうことなら信用できるとか頭から思っていると
おかしなことになることもある。

過去に平気ででたらめをいっていたり、
おかしなことをいっていることを、
何もなかったかのようにしている場合もある。

だから、そういう人を信用しない、というのではない。
うーん、ほんとうだったら、でたらめなことをいったりやったりしていたことを、「やっていた」とはっきりさせた上でものをいっている人を信用すべきなのかもしれないけど、
いや、そう自分でも心がけるべきなんだろうけど、
ごまかしのようなものも「信用」に含めたい、
そんな気がしている。

今朝、わりと信用していた人物(知人ではない)が
過去に、事実ではないことを書いて他人を批判していた(かもしれない)
ということを知って
自分のなかで何か更新された。
2011年12月14日
新規入力15点です。
日本史で古代史などです。

気づいたら昨日の店日記がアップされていなかった。
いままでにもあるかもしれない。
アップしそこなってそのまま消えたりすると気づくのだが、
いちいちアップされているかどうか確認していないからこういうことになる。
控えのデータもない。
昨日はかなりたいしたことないことを書いていたと思う。

パンフレットみたいのが置いてあって、
肩こりの特集だった。
肩こりはあまりないのだが、首こりがひどい。
参考文献に『がんこな肩こり・首こりを治す知恵とコツ』(主婦の友社)と書いてあった。
「冬のカサつき対策①」などというのも書いてある。
2011年12月14日
昨日書いた店日記がアップされていなかった。

何を書いたかもよく覚えていないのだが、

「新規入力21点です。日本史(古代・中世ほか)、歴史全般など。」

ということは書いておきたい。
2011年12月11日
新規入力18点です。
文芸ものです。

調子にのって書いているとあとでみたらたぶんとても恥ずかしいことに。

日曜日で晴れていて
前の学校の校庭で野球の練習をしている。
注文がなく(土日はそもそも少ない)、
図書館に行ったあと、
少し本を読んでいると
子どもの大声が聞こえてきたりしていた。
よく考えてみると、いまやっている野球の練習は
朝からやっていて
さっき聞こえていた声はサッカーボールの音ではしゃいだりしている声だった。
うるさいなくらいにしか思っていなかったけど、
どういうことだったのか。
野球練習の休憩時間にサッカーで遊んでいた?
ちょっと考えづらい。
公園もある。
そっちの音だったのか。
2011年12月08日
新規入力21点です。
宗教(キリスト教、仏教、ほか)ほかです。

さっき、ラジオで東国原英夫が出ていて、
どうやらいまだかこないだだか週刊誌でスキャンダルを報じられたらしい。
あ、そう。
いや芸人て、強いなって思った。
すでにいくらでも恥をかいているのだ。
これはぼくも自分に耐えられる範囲で適度に恥をかいていかなけりゃかたまってしまうと思った。

好き嫌いでいえば東国原を別に好きではない。

かっこいいイメージやすぐれたイメージだけでやってきた人とそこが違う。
目立つ人だけじゃない。
一度も崩されたことのない人は、
実像にそぐわないプライドに押しつぶされてどうにも動きが取れなくなっている。
誇りは必要だが、それは何度も試されて獲得したものにしか価値はない。

これは何も偉そうにしている人に限らない。
一見低姿勢でいる人、
のなかで低姿勢を押し通してきた人、
低姿勢を崩されたことのない人はやはり実像にそぐわないプライドで頑丈に守られている。

ここから関係ないが、
経験豊富な人の話というのは、それだけではあまり参考にならないことに気づいた(いまさら?)。
ほんとうに参考になるのは、「考えた人」の話である。
経験というのは、ほうっておいても個別の問題だが、考えというのは、普遍的な問題だ。
経験があり、それをそのつど、考えてきた人の話はほかの人にも適用できるものになっている。
また、ただ考えているだけの人の話も参考になる。
あ、これ、なんかかっこよくいいすぎかも。
プライドが育っちゃう。
2011年12月07日
今日はいまのところ新着アップしていないのですが、
いまラジオをつけたらたまたま
「大竹まことゴールデンラジオ」に高橋源一郎が出ていたので、
ききながらそれについて書いている。

そういうことはtwitterとかで書けばいい気もするけど、
一つだけつぶやいたけど。
まず朝日新聞の論壇時評の話から。
「通販生活」のこと。
宮崎駿のこと。
『恋する原発』の話は出るのかな?
最初の紹介でタイトルだけはいっていた。

いいたいことをいうのは、別にそんなにむずかしいことじゃない、
いっちゃえばいい。
問題はいいかただ。というようなことを高橋がいって、
大竹まことがそれを受けて、
けっこう、大竹まことの声色からいって、
めずらしくかなり共感している(『恋する原発』の話が出ている)。

たとえば前にも書いたかもしれないが、

あ、ちょっと待った。
3月11日以来、ものがいいづらくなった、
みんないらだっている(これはぼくも4月の第2土曜日に思い、口にもした)というような
みんながお互いの悪いところを見つけて
あ、いま、この文章、ラジオの要点をきちんと書こうとしていないです。
ききながら書いているだけ。

大竹まこと。『恋する原発』に関して、正直こんなもん読めるかっていう人いると思うんだけど、
そのわきで拾って読む人がいるかどうか。
高橋源一郎。楽しいと思って書いている楽しくなかったらごめんなさい。楽しくないですか?
2011年12月05日
新規入力22点です。
日本史(近世の経済とか)、文芸ものなど。

晴れている。
そこまで寒くない。
目が乾く。
眠いだけか?
目をしばしばさせている。

うちは店舗がないが、
1F部分が母の店なので、
店頭に100円本を置かせてもらおうかという計画。
売れないだろうけど。
ダンボールに「1冊100円 3冊で200円」と書いてみた。
どうもこうレイアウトに自信がない。
デザインセンスに欠けているので、
また太いマジックで字を書くのがなかなかむずかしい。
そういえば、前の店で、その太マジックでとてもうまい字を書く人がいた。
どう使えばいいのか、いまだよくわかってないのだが、
アラビア文字の書道というのもあったな。
2011年12月03日
新規入力20点です。
政治・法律・社会の資料、学術書、日本史など。

「資料・文献」というグループを作ってみました。
大雑把なのかなこれだけじゃ。
ジャンルでも分かれているからいいのか。
もっと取り揃えてなければならないのかどうか。

たまにいつもと違う傾向のものぽつって入れてもなかなか売れないんだよな。
そういう傾向のものまとめて持っていないとダメなのかそうじゃないのか、
売り方の問題なのか。

今日は少し寝坊したということもあり、
何か時間が押している。
いやそれが原因じゃないな。
余計なことをしていたからだ。
けど余計なことをすることは大事だ。

1日30分やればいいとかいうのあるけど、
そうきくとなんかできそうな気がするかもしれないけど、
普通、だいたい、人の生活ってパターンが出来ているから、
そこに30分組み込むのは相当むずかしい。
1回だけならまだしも毎日となると、
生活パターンの組み換えというか
そこまでいかなくてもほかの何かを短縮したり
急いでやったり、一つやめたり
何かそういうことが必要になる。

5分ならいいかというと
1日5分でもいままでやってなかった、
それもとくに楽しいというわけでもなく、絶対必要というわけではないことを
何か毎日やるというのは結構緊張を強いられる。
2011年12月02日
新規入力31点です。
戦中戦後くらいの文芸ものほかです。

寒いなということを書こうとしていた。
1Fのファンヒーターはあったかいということも書こうとしていた。
もちろん書いてもいいのだが、
意外にデータ入力時間が延びて、
書こうとしていたときから少し時間がたってしまった。
その間に、設定温度を1度上げたら少しはましになったのだ。
たぶん、それで、寒いということ中心に書くのはどうかなって気になってきたのだ。
その前には女の人について書こうかと思っていた。

しかしどう考えてもこの店日記ってそうとう中途半端だ。
ブログほどきっちり書いてないし、
つぶやきほど短くもないし。
この中途半端さ加減が何か自由を与えてくれる。
内容的にもなんというかどうでもいいことばかり書いているし。
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