古本屋・古書店 埼玉県公安委員会公認古物商免許(第431070025592号)
ホーム店日記2014年3月
2014年3月
店日記:16
2014年03月30日
新規入力35点です。
教育資料、『料理の友』ほか。

雨。
今日だけ雨という。
明日にはあがると。だったらいいのだけど。

トルコでツイッターが閉鎖されて、
それをクリアする方法が紹介されていたことをこないだ書いたが、
今度は、国産ツイッター的なものが、というニュースが出ていた。
140字ではなく、350字まで書けるという。
なんだか登録してみたくなったのだが。
2014年03月26日
新規入力25点です。
雑誌、教育資料など。

曇り。
雨が降るというが、ずれ込んでいるのか。
明日の午前中も降るとか。

トルコでツイッターが閉鎖されたらしく、
こうすればアクセスできるというやり方を具体的に書いた記事が翻訳されていた。
iOSの場合はこう、Windows8の場合はこうと。
「Radikal紙」とあるが、これは紙の新聞なのか?
web上で検索してみたらあった。
webだけなのかどうか。
2014年03月25日
新規入力27点です。
雑誌、教育ほか。

晴れ。
気温が上がっている。
去年の三月だっけ?一気に気温が上がりすぎたのは。
よくおぼえてないが。
2014年03月24日
新規入力29点です。
本関係の雑誌、心理、教育ほかです。

晴れ。
暖かい。
もう暖かいらしい。
関東南部では、ダウンジャケットなどはクリーニングに出していい、
関東北部では、まだ朝など冷えることもあるとのこと。
ここって、埼玉県のだいたい真ん中で、埼玉県のなかでも北部なのか南部なのか、一応中部ということらしいのだけど、関東でいっても、南部なのか北部なのかわからない場所だ。

よく、何もやることがなくて街中で時間をつぶしている男性高齢者を見かけると、料理すればいいのに、と思ったりする。
すればいいのに、というか、自分に置きかえて、そう思うということだが。
まあいろんな事情があるだろう。
金がない。
金があればもう少しどうにかなることかもしれない。
それから、やることがないというか、実際ないわけじゃないんだけど、もう慣性になってしまっていて、暇なのだが、ちょっと面倒なことはしたくないし、いまからでも地道にやれば何かができていくとは思うのだが、なんとなくそうする気にもならない。
少しなら仕事でもやりたいところなのだが、その口がない。というかそれをさがすほどのことではない。とか。

いや、こういうとき、一人暮らしならいい。
おそらく家族がいるということが、余計、自分が余計者になっている感を強めていて、そういう人は、だいたい、家族ともうまくコミュニケーションをとれないから、鬱屈して結局外で時間をつぶす。
料理すればいいのに。それも、結局、台所を占拠している人たちがいるから、使わせてもらえない。
三度の食事以外の時間なら使わせてもらえるのかもしれないけど、三度の食事以外にまだ何か食いたいわけではないし、家の食事を断って、少し時間をずらして自分の食事だけ作る、という「取り決め」をすること自体が億劫だ。
それに、毎度毎度義務として作りたいわけではなく、作るときと外で食うときと、買ってきたりして家で食うなどをそのときの気分で決めたいのだが、家族がいては、そのような気ままなことは許されない。など。
想像してしまう。

けど、まあクリアしてみようじゃないか。
いまぶらぶらしていることに満足しているなら別にいいけど、ちょっとどうにかしたいと思っているなら、まずは面倒なことをいくつかクリアしなければどうにもならない、というわけなのだ。
金があれば、面倒なことを面倒じゃなくクリアできることもあるわけだが。
で、料理はいいんじゃないかな。と。
いきなり一念発起して、歴史の勉強とか語学をマスターするとかそれもありといえばありだが、そういうちょっと大きなものは、挫折しやすいし。
2014年03月22日
新規入力25点です。
『新潮』、心理、教育ほか。

晴れ。
さっきまでけっこう風が吹いていたが、いまは穏やかに思える。

ワンセグってなんだと思っているところである。
いや、あんまり関係ないから、テレビが見れる、くらいに思っていたのだけど、
「ワン」じゃない「セグ」とかもあるようなことを耳にしたような気もしていて、
「セグ」ってのが何の略なのかも知らないので、
ワンじゃないのは、テレビ以外の何かも何できるということなのかと思ったりしているわけだ。
まあネットで調べればすぐわかることだろうとは思う。
その寸止め状態でこらえているというわけなのだ。
2014年03月20日
新規入力27点です。
科学随筆、医学随筆、大正期の「新潮」ほか。

雨。
一度いえばわかることを何度もいったり、
逆に何度いってもわからなかったり。

どうもこの机の高さが高い。
変な姿勢になり、そのせいかどうかわからないが、腰が少し痛む。
2014年03月19日
新規入力30点です。
宗教雑誌ほか。

曇り。
雨が降らないうちに荷物を取りに来てほしい。

前にクリミアとロシアのことを書いたが、
そう簡単ではなかったようだ。
結局、緊張が高まったまま、死者が出たり、おさまりがつかない状態が続いているようだ。
2014年03月14日
新規入力29点です。
詩集、宗教雑誌ほか。

晴れ。
今夜は冷えるらしい。
いまは暖かいが。

2014年03月13日
新規入力21点です。
詩集、雑誌ほか。

曇っていたり、
雨が降ったり。
これからまた荒れるのかな?

こないだ、友達のあいだで、割り算の話になった。
それで、割り算のことを思い出したりしていた。思い出すにつけ、心もとなくなった。
小学生にわかるように割り算を説明できるかというとできないのである。
つまり、理解していないというわけでして。
長じてからも、算数のわかりやすくといたものを読んだりして、そのときは、わかったような気がしたが、忘れている。

ネットでも少し調べてみた。
割り算とは1あたりの値を求めるものである。これを読んで、ははあ、たしかそう、前にも聞いたな。
ただ、それを説明できるかというとできないのだ。
たとえば、10÷5=という式があったとして、これは整数であるから、とりあえずで、現実的な状況に置き換えて考えてみると、10個のりんごを5人で分ける場合とする。1個ずつ、5人に配っていく。すると、全員に2個ずついきわたったところで、ちょうど、配りきれる。そうして、「結果をみると」、1人あたり2個ということになっており、「1あたりの値」が求められている、というわけだ。これは、こうした手順を踏めば、「結果として」そうなっていることはわかるのだけど、「説明」にはなっていないだろう。手順と結果はわかっても、「割り算とは1あたりの値を求めるものである」を理解したとはいえないと思う。実際この説明で、「納得」する小学生というのは、いるのだろうか。

ただ、「割り算とは1あたりの値を求めるものである」という明言を、そのまま抽象的な定言として受け入れると、分数の割り算などになったとき、わかりやすい。さきほどの、10÷5=を現実的な状況をとっぱらって、割られる数を割る数で割ったときの1あたりの値を求めるとして考えるとすると、(ぼくが勝手に考えたところによると)「割る数を1になるように、式全体を書きなおす」という作業をすることでわかりやすくなる。今の式でいえば、割る数の5を1にする、つまり5分の1する、と同時に、割られる数の10を5分の1すればいい。すると、割られる数は2となって、それが答えとなる。それはとりもなおさず、割る数の分子と分母をひっくり返して掛け算にすれば答えが出る、というあれである。1あたりの数を求めるということを、「割る数を1にしたい」という欲望に置きかえれば、おのずとそうなるわけだ。たとえば、10÷1/4=という式では、1/4を1にするために、4をかける。ただ、これはそうとう勝手な考えなので、実際は、抽象的な「操作」のほうがわかりやすいのかもしれない。

たしか、前に読んだ本の中では、こう書いてあった。割り算は、割られる数の中に、割る数がどれだけ含まれているかである。と。10÷5=では、5が2つ含まれている。10÷1/3では、1/3が30個含まれている。
しかし、ぼくの理解が中途半端なため、それぞれの理解が切りはなされていて、結局「わかってない」。つっこまれたら答えられないというわけなのだ。
2014年03月12日
新規入力29点です。
詩集、歌集ほか。

曇り。
暖かい。
明日は雨が降るとか。
うーん。
2014年03月11日
新規入力36点です。
雑誌、詩・短歌・俳句など。

晴れ。
今日は少し暖かいらしい。
しかし、風邪で寒気がしている。

3月11日ということで、さっき、鐘がなっていた。

がりがりにやせていた友人が、1年で12キロも太ったという。
しかも、ぱっとみ、あんまり体型は変わらないのだが、腹だけが出たというのだ。
40歳になると代謝が落ちるからだという。
たしかにぼくもそういう傾向がある。
体重自体は変わっていなかったのだが。
2014年03月10日
新規入力23点です。
教育雑誌ほか。

晴れ。
珍しく風邪を引いて、必要以上に寒い。

田村隆一が高橋和巳との対談で、敗戦時に京都にいたということをいっている。
兵隊にとられて、大津に行ったあと、最後の1年は京都で、そのおかげで空襲のこわさをぜんぜん知らないと。
2014年03月07日
新規入力24点です。
児童・教育雑誌、教育書ほか。

晴れ。
なんか冷え込む。
手足が冷たい。

さっき手元の雑誌を見ていたら、「昔と今の体格比べ」とあって、昭和12年と昭和21年との子供の身長などを比べていたのだけど、12年に対して、21年のほうが低いのだった。それぐらい戦時中の栄養状態が悪かったということだろうけど。
2014年03月06日
新規入力23点です。
同人誌など、古い実用書ほか。

晴れて、風強し。
ちょっと寒い。

どんどん情勢も変わるし、ほとんど知らないのであんまり軽々しくへんなことをいうのもまずいが、
ウクライナのことは、なんだかんだいってバランスをとっているということなのだろうか。
もしロシアが限定的に介入してこなかったら、ロシア系住民と親欧米派の住民のとの間に、もっとめんどくさい混乱が起こっていたかもしれないということなのか。
現実的にはこれでおさまって、国際的にいえば、ロシアを非難すればすむというぐらいのところでおさめたということなのか。
まあ、ほんとよくわからないのだけど。
2014年03月05日
新規入力21点です。
紀行、教育関係雑誌ほかです。

雨。
それほど寒くはない。
だが、暖房をつけたり消したりしている。
昨日の予報では、秩父のほうでは、雪の警報だか、注意報が出ていた。
どうなんだろうか。
2014年03月02日
新規入力21点です。
詩誌、科学雑誌、科学、小説ほか。

曇り。
今日は降るのかな?
昨日降っていた。今日の、雪かも、ってのはなくなったのかな。
だとしたらいいのだけど。
南のほうでは雨が降っているところもあるみたいだ。

あんまりニュースを見聞きしないうちに、ウクライナのことが話題になっている。
ほんと断片的にしか聞かないので、ぜんぜんわからないのだけど。
親欧米政権ができて、そのあと、親ロシア派が反発を起こしてどこか占拠したり、
それでアメリカがロシアと協議しようとしたのか、
わからないけど、そのあと、ロシアが軍がどうのこうのと。
ロシアが調停してその新しくできた政権でも影響力を保つとかいう路線はなかったのかね。
親ロシア勢力をもう抑えられなかったのか、
やっぱり新政権自体を認めてしまうと不都合なのか。
まあもう少しよく知ってみないとなんともいえないことだけど。

こないだの学制についての話の続き。
筑摩書房の『明治文学全集』の月報集、『明治への視点』を読んでいたら、中村白葉(明治23年生)がこんなふうに簡潔に書いてくれていた。
「当時の学制は、小学校が尋常科四年、高等科四年で、高等科の二年を終ると、中学への受験資格ができ、五年の中学を四年やると、旧制高等学校その他への受験資格ができるのだった。」
これで、いままで、変に符合がいかなかった点がわかった。やはり、これでいえば、尋常科→中学というダイレクトなコースはなくて、中学受験のために高等小学校に2年行って、中学という経路をたどったということだ。それならば、中学入学は、12歳でいいし、高等小学校までという人は、4年間フルで行っていたということになる。
小学校に6歳で入学して、尋常小学校4年、高等小学校4年なのに、なんで中学入学が12歳になるの?っていう疑問がこれでとけたわけだ。尋常から中学まで間があったわけでも、高等小学校をフルに4年行って、実際は、14歳で中学スタートというわけでもなかった(そういう人もいただろうけど)。ただ、あくまでこれは、明治39年までの話で、明治40年に尋常小学校が6年制になったら、おそらく、高等小学校には行かずに、中学へ、といったコースになることが多かったと思われる。そこらへんの説明が、Wikipediaをはじめとするネットの情報では、整理されてなかった。
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