1930-1949。有賀喜左衛門。有賀喜左衛門書簡8通+葉書4枚(池上隆祐宛(連名3枚含む))計12点。池上隆祐は民俗学者・政治家で有賀の義弟。1)昭和5年6月11日消印(同記)葉書-筆書き6行。帰京の予定、洋服屋への連絡願いなど。2)昭和5年8月29日消印(同記)葉書-池上鎌三と連名宛。ペン書き12行。雑誌(『郷土』?)の宣伝文についての打ち合わせ+近況。3)昭和5年9月10日消印(同記)葉書-池上鎌三・外皆々様と連名宛。ペン書き14行。□沢が瀧川と有賀といっしょに来てくれといっているから、瀧川の都合を聞いてくれとのこと。4)昭和5年11月6日消印葉書-池上鎌三・外皆々様と連名宛。ペン書き10行。状況の予定と伊那富での『郷土』の評判など。5)昭和6年2月22日消印封書-便箋3枚+『郷土』2号の後記原稿。『郷土』の編集上のやり取り。開明堂(版元か)の校正が怠慢なことや後記のことなど。6)昭和6(?)年7月17日消印(年部分判読困難)(同記)封書-便箋3枚。陶工大の大森氏をたずねて見た百穂の壺のこと。『郷土』のこと。7)昭和11年6月8日消印(6月7日記)封書-便箋1枚。赤羽王郎から来た葉書を同封とある(葉書の現物は欠)。「誠に困った事と思ふ。」「竹内の書物の序文を急に求められて弱った」など。8)切手剥がしにより消印欠(1月30日記)封書-便箋2枚。王郎からの送金依頼のこと、王郎のかかわる農務統計表のこと、広告料の件、大内紹介の件。野沢から来た広告料の請求書・手紙を同封している。9)消印欠(検閲済印あり)封書-400字詰原稿用紙2枚(マス目は無視)。家の改築の相談。略図面・仲介者からの手紙を同封。10)昭和21年4月11日消印(同記)封書-小山昇から有賀への手紙のみで有賀の手紙はない。便箋4枚で農地調整法についての問い合わせへの回答(4月8日記)。11)昭和23年10月24日消印(同記)封書-200字詰原稿用紙1枚(マス目無視)。しばらく手紙がないから様子を聞きたがっている。12)昭和24日8月16日消印(同記)-便箋1枚(最後の一枚のみ。前部分欠)。隆祐が刀を売ろうとして有賀に預けた、その鑑定結果。関係が不明だが、松本市立高校野球部の慰労会の案内(池上隆祐宛)が同封されている。