店日記

2月26日

2014年02月26日

新規入力36点です。
人文、詩集、小説ほか。

晴れ。

おとといから、旧制高校などについてあれこれ馬鹿なことを書いているが、
昨日の続きをまた書いたが、やっぱり書いたことも間違っている、あやふやだということがわかった。
以下、一応引用しておくが、もう少し普通の資料などを読まないと「?」である。

そしたら、旧制高校ができて最初に入ったのは、計算してみると、明治2年生まれの人ということになる。『近代文学年表』(双文社出版)でみてみると、馬場孤蝶、川上眉山、大町桂月、江見水蔭といったあたりの人がそうなので、さらに文学事典(『現代日本文学大事典』明治書院)を引いてみると、あまりくわしくは出ていないが、大町桂月のところで、「第一高等中学校、東京大学国文科に進み」とある。この時点で、旧制高校は、高等学校とばかり思っていたので、高等中学校というのが、旧制高校と同じものかどうか迷ってしまった。そこで、事典ではくわしくわからないので、その2年前に生まれている、漱石の年譜をみてみると、果たして、明治19年の4月のところで、「「東京大学予備門」は「第一高等中学校」と改称され、漱石たちの予備門予科三級は、高等中学校予科二級に編入されることになった。」とある。それで、また高等中学校という名前を調べると、明治27年に高等学校と改称されるまで、高等中学校だったことがわかった。ということはやはり、大町桂月は、旧制高校最初の新入生のうちの一人ということになるか。その間に、ダブっていたり、浪人みたいなことになっていたりしなければ、ということだけど。ダブりはともかく、浪人というのは、当時一般的だったんだろうか。
と思ったが、そうじゃないか。明治19年の時点では、15歳で中学卒だから、明治4年生まれの15歳で、高校に入れたということだろうか。大町桂月はどこかで足踏みしていたのかそれとも、漱石と同じような、在学中に「第一高等中学校」になったのか。
というか、ネット上の情報を中心に見ているからわかりづらいのかもしれない。Wikipediaでは、学年と年齢の関係が表になっているが、小学校のほうでは、制度が変わるごとにどう推移したかがわかるようになっているのに、中学校のほうでは、12歳で中学1年というはじまり方をしている表しかない。こうなってくると、尋常4年、10歳で小学校が終わっていたときのことはどうなっているのかということになる。
さらに検索してみると、いままで書いていたこともいろいろ間違っていたのかもしれない。その情報では、旧制中学入学は14歳からであり、尋常小学校のあと、高等小学校4年間行くことも考慮されていた年齢ということになる。高等小学校に行くのは、任意だとその人も書いているが、だとしたら、高等小学校に行かずに、旧制中学に行こうとした場合、受験資格が得られるまでに4年間間があるということになるのか。あと、これは複数の人が書いていることだが、旧制中学は5年間ではあるが、旧制高校に行く人は、1年短縮の4年間で、卒業見込みで受験できたということだ。


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