店日記

2月25日

2014年02月25日

新規入力21点です。
紀行、詩集ほかです。

晴れ。
昨日は関東南部ではところによりにわか雪とかいってたが、こっちはそんなこともなく。

昨日の続きを、小学校から推測をまじえて書く。
明治19年の小学校令で、尋常小学校4年+高等小学校4年ができた。尋常のほうが義務教育となった。高等小学校というのは、尋常を出て、もう少し勉強したい人が行ったものらしい(旧制中学受験失敗した人もいっていたらしい)。これが、明治40年には、いまの制度に近い、尋常6年+高等2年になったらしい。これで、少し想像がしやすくなった。
一方で、尋常を出て、旧制中等学校(旧制中学、師範学校ほか)へ進学するものもいた。旧制中学はおそらくどんどんさらに先へ進学していこうとする人が行くところみたいだ。5年間であり、いまの中学校+高校2年までとイメージできる。ただどうなのだろう。これも、19年の中学校令でできたみたいだけど、19~39年までは、尋常が4年だったということは、満年齢6歳で小学校に入ったとして、15歳で中学卒ということになるか。明治40年以降は17歳ということである。ただ、これは満年齢6歳時に小学校へあがったと仮定してのことだ。Wikipediaの表がいまいちわからなかったのだけど、いまは入学時は満6歳、その学年のうちに7歳になるということだろう。Wikipediaの表は、数えをあらわしているのかもしれない(今調べたら、明治6年から満年齢が使われるようになったらしい。生活空間では、両方使われていた状態だと思うが、学生に関しては、満でいいのかもしれない)。
あと、このとき、4月はじまりじゃなかったかも。けっこうわからないことが多いな(それまで4月だったり9月だったりした始まりを、どうも明治33年に4月始まりに統一されたらしい)。
ここらへんくわしく書いている人がいました。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1068358865
さてこのあとに、旧制高校とか、高等師範学校とか、いろいろな選択肢になってくる。
旧制高校に関しては、こないだも書いたが、いまそれにあたるものがないので、想像がしにくい。一応、大学の教養課程みたいなものと書いてあったが、そのままに受け取るわけにもいかない。それで、前書いたように、旧制高校の中で、専門学科と大学予科があって、たぶん、専門学科はそこで専門的な勉強をして終了するもの、大学予科のほうを選んだ人は、さらに帝国大学へ行きたいという人である。


ホーム | ショッピングカート 特定商取引法表示 | ご利用案内
Powered by おちゃのこネット