1958-1965。真鍋元之。真鍋元之葉書(三友社・北村卓三宛)計5枚。2〜5往復はがきの返信。1)昭和33年12月31日消印-義母杉本ミナの喪中はがき。宛名以外印刷。2)昭和39年4月20(?9?消印判読困難だが、編集者が書き添えた「22日」という日付から20日と推測)日消印。ペン書き11行。「三友」への励ましと旅のこと。壬申の乱のあとを探りに吉野の奥へ行く予定が延期、尾崎秀樹ら「大衆文学研究会」の同人で北海道に行く。3)消印なし-ペン書き23行。戦争中、満洲の奥地の村で、二年間兵隊暮らしをしたとき。村長一家の娘と中国語と日本語を教えあった。中国語に翻訳した「荒城の月」を歌わせようとしたがうまくいかなかった。4)昭和39年7月27日消印-ペン書き12行。福本和也が藤沢の飛行場で練習するとき、真鍋を連れて行って同乗させる。それを聞いた伊藤桂一が真鍋は度胸がいいとからかった。しかし信じることが楽しみを増やす。5)昭和40年1月30日消印-ペン書き11行。『大衆文学事典』の編纂を思い立ち、井口朝生、赤江行夫、野村敏雄、松永義弘、小山竜太郎らと資料の整理中。