店日記

3月2日

2014年03月02日

新規入力21点です。
詩誌、科学雑誌、科学、小説ほか。

曇り。
今日は降るのかな?
昨日降っていた。今日の、雪かも、ってのはなくなったのかな。
だとしたらいいのだけど。
南のほうでは雨が降っているところもあるみたいだ。

あんまりニュースを見聞きしないうちに、ウクライナのことが話題になっている。
ほんと断片的にしか聞かないので、ぜんぜんわからないのだけど。
親欧米政権ができて、そのあと、親ロシア派が反発を起こしてどこか占拠したり、
それでアメリカがロシアと協議しようとしたのか、
わからないけど、そのあと、ロシアが軍がどうのこうのと。
ロシアが調停してその新しくできた政権でも影響力を保つとかいう路線はなかったのかね。
親ロシア勢力をもう抑えられなかったのか、
やっぱり新政権自体を認めてしまうと不都合なのか。
まあもう少しよく知ってみないとなんともいえないことだけど。

こないだの学制についての話の続き。
筑摩書房の『明治文学全集』の月報集、『明治への視点』を読んでいたら、中村白葉(明治23年生)がこんなふうに簡潔に書いてくれていた。
「当時の学制は、小学校が尋常科四年、高等科四年で、高等科の二年を終ると、中学への受験資格ができ、五年の中学を四年やると、旧制高等学校その他への受験資格ができるのだった。」
これで、いままで、変に符合がいかなかった点がわかった。やはり、これでいえば、尋常科→中学というダイレクトなコースはなくて、中学受験のために高等小学校に2年行って、中学という経路をたどったということだ。それならば、中学入学は、12歳でいいし、高等小学校までという人は、4年間フルで行っていたということになる。
小学校に6歳で入学して、尋常小学校4年、高等小学校4年なのに、なんで中学入学が12歳になるの?っていう疑問がこれでとけたわけだ。尋常から中学まで間があったわけでも、高等小学校をフルに4年行って、実際は、14歳で中学スタートというわけでもなかった(そういう人もいただろうけど)。ただ、あくまでこれは、明治39年までの話で、明治40年に尋常小学校が6年制になったら、おそらく、高等小学校には行かずに、中学へ、といったコースになることが多かったと思われる。そこらへんの説明が、Wikipediaをはじめとするネットの情報では、整理されてなかった。


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