店日記

8月4日

2011年08月04日

新規入力22点です。
日本史が多いですね。それ以外のものもまじっています。

何をいいだすかわからない気持ちになっている。
何をいっても誤解される、
そう思って、さきまわりして、
「何をいっても誤解される」ということを説明して、
それがまた逆効果になって
無限に内側に向いていく、ということになったり。

それは実は関係なかったり。
いや本当はやっぱりそういいたかったのかもしれない。

関係ないけど、
こないだ買った佐々木マキの自選マンガ集『うみべのまち』がラジオで紹介されていた。
TBSの「荒川強啓デイ・キャッチ」で山田五郎が紹介していたのだ。
それをきいていた荒川強啓の声について。
自分がぴんと来ないものに対する反応について。

また関係ないけど、
こないだ出た加藤典洋の音楽評論本『耳をふさいで、歌を聴く』を最初のほうだけ読んだ。
それで加藤典洋の評論の書き方でいろいろなことを連想した。
どうだろう。
頭の調子がおかしいので、
すぐに、前提の前提の前提の、というふうにさかのぼっていってしまって、
簡単にものがいえなくなっている。
前提の前提はいいとして、
加藤典洋が選んでいる評論の書き方というのは、
「比喩でいいあらわす」ということである。
あるきっかけがあったとして、
そこから抽象名詞というか概念語というかそういうものを避ける書き方になった人たちがいる。
そうじゃなくて、はじめから、その嗅覚で、避けていたのかもしれない。
いま思い浮かぶ名前としては、加藤典洋のほかに、荒川洋治、橋本治、高橋源一郎など。
そういう人たちは、どんな方法をとることになったか。
どういう書き方を探りあてたのか。

あ。全然、ここで何か論じようとしているわけじゃありません。
思いついたことを書いているだけで。

ぼくが思ったのは、いまいっている道筋の先にあることじゃなくて。
ぼくが思ったのは、彼らが、そうして獲得した「特徴」というもの。
その「特徴」が色濃く出るといやみになるな。
と思っただけでして。


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