店日記

5月2日

2019年05月02日

新規入力12点です。
詩集、『現代』。

晴れ。
雨が降るとしたら夕立的なもの。

ここから先は自分が馬鹿だという話なので、気にしないでもらいたい。
マイケル・タウシグ『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』を読んでいて、どうもよくわからんなあと思っているところだ。
というか、この本に限らず、翻訳物の評論でどうも頭に入ってきづらいというのがはじめのかまえからある。
話が長くなりすぎるのでそこは省略するが、この本の場合、
「とりわけ、この五〇〇周年の催しが開催されることの本質を念頭におけば、そのような構築物における記憶の役割や、記憶するための儀礼の役割にはどんなことであるのでしょうか。」とはどういうことのだろうか。もし誤訳だとすると、「役割には」の「に」がいらないか、あるいは「どんなものがあるのでしょうか。」とでもすればいいところなのだろうか。わからないが。
それから、「そして、それは記録者が最初町に踏みいれたときにはじまっていた現象であった。」。これも、もし「踏みいれた」なら他動詞なので「足を」などの目的語が必要、自動詞で行くなら、「踏み入った」にしなければ通らなくなる。両方とも金子遊の訳。
ただ、この本は「ビートニク小説のようにも読める」と帯文にあるので、そもそも原文の文法が型破りであることも考えられるからやっかいだ。人物の呼称、「その男」とか「彼」とかがどの人物をさしているのかすぐに飲み込めないなどの込み入った書き方にもなっており、原文の問題なのか、訳文の問題なのかよくわからないのだ。
ただ、今挙げた2箇所については、文の途中で誰が何をどういっているのか書き手自身がよくわからなくなる、よくあるタイプの「弱い書き方」なので、訳文を十分検討していないだけのような気がする。
いずれにしても、もう少し、〔 〕などを使った、補足をしてほしい。


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