店日記

11月10日

2015年11月10日

新規入力16点です。
『運動界』、仏教ほか。

雨とか曇り。

先週金曜(6日)の「粋な夜電波」のつづき。
菊地成孔は、ディアンジェロの「ブラックメサイア」の1曲目の演奏について、
「うまへたうま」(うまい人がルーズに演奏してうまくきこえるような演奏)といっていた。
「うまうま」でも「へたうま」でもなく、もう一段階あると。

だけど、これ、「へたうま」とどう違うのかな、とも思った。
「へたうま」(この字でいいのかな?)というと、主にマンガやイラストで使われていることばだと思う。
自分は、「へたうま」を「うまい人が下手なようにかいて、実のところ空間の配置などで絶妙なバランスをとっているもの」と解釈していたからだ。

と思って、次の日(土曜)の久米宏のラジオをきいていたら、
ちょうど湯村輝彦の「へたうま」のことについて久米が紹介していた。
それによると、「へたうま」は、「下手だけれど何かが伝わってくるもの」ということだそうだ。
となると、「へたうま」の「うま」は、空間の配置などのことなどでないということになる。
ほんとうにそうなんでしょうか。

マンガやイラストのほうでの、「次の段階」にいっているものとして、
辛酸なめ子や後藤友香などの、「ほんとうに下手な人がかいたようにかける」というものがあるように思う。
それを念頭においていると、やっぱり「へたうま」の肝は描線、かたちの面ではでたらめに近くなりながら、イラストとしてのバランスは完全に取れている、ということにあるような気がしてならない。
まあここらへんは、専門家の方がもっとうるさいことをいっているのだろうけど。


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