1930-1937。胡桃沢勘内。胡桃沢勘内書簡(池上隆祐宛)16通+葉書2枚計18点。胡桃沢勘内は歌人・民俗学者。別号平瀬麦雨・平瀬泣崖ほか。1)昭和5年10月5日消印(10月4日夜記)封書-480字詰原稿用紙3枚。『郷土』の原稿が書けず、別の原稿用紙で書いてみた。『鄙の一ふし』、百姓のことなど。2)昭和6年1月26日・28日消印(消印×2)封書-480字詰原稿用紙1枚。送った原稿のこと。「折口さんから特に袖山の小曽部に於ける艶話は誤解のおそれがあるから渋沢氏には秘して置きたいとの話があつて」などとある。3)昭和6年1月31日消印(同記)封書-440字詰原稿用紙2枚。電燈値下げ問題、柳田國男『世相篇』のことなど。4)昭和6年3月19日消印(同記)封書-便箋10枚。『郷土』刊行の遅れと印刷のこと。電燈問題のこと。5)手渡し文(9月1日記。同封の葉書から昭和6年と推測)封書-便箋1枚。「話をきく会」の件。渋沢(秀雄?)と早川(孝太郎?)が7日来るとのこと。会員拡大などの案内状(印刷)同封。6)昭和6年9月17日消印(同記)封書-便箋2枚。発起人の一人として恥じ入る。「一志君」に対する批判。7)昭和6年10月12日消印(同記)封書-400字詰原稿用紙2枚。民俗学大会という池上の案に「話をきく会」の観点から軽く難色を示す。紹介されて会った尾崎久弥のこと。8)昭和6年10月22日消印(同記)封書-400字詰原稿用紙1枚。(前便のつづき)教育会の催しの予算、日程について教育会長・手塚からの伝言。9)昭和7年3月9日消印(同記)封書-等々力鎌一からの胡桃沢宛書簡の裏を使用。柳田國男が松本にも来るから「話をきく会」を催したい。また等々力の原稿の採否を尋ねる。10)昭和7年3月24日消印(同記)葉書-ペン書き12行。『蒲原夜譚』を送ってくれたと聞いてのお礼。11)手渡し文(5月31日記。内容から昭和12年と推測)封書-便箋8枚。百瀬らの選挙違反裁判について。丸松商事の件。12)昭和12年6月5日消印(12年6月4日夕記)封書-400字詰原稿用紙(マス目無視)3枚。選挙違反の件に際して(関係ない?)胡桃沢が丸松を辞める。13)手渡し文(内容から昭和12年と推測)封書-手紙ではなく、「退職に当りて」と題する原稿(胡桃沢の筆跡と異なる)。14)切手部分切り取り消印欠(6月5日記。内容から昭和12年と推測)封書-400字詰原稿用紙(マス目無視)2枚。選挙違反裁判傍聴記。15)手渡し文(6月7日夜記。内容から昭和12年と推測)封書-便箋3枚。百瀬嘉郎らの選挙違反判決について。別に「引退の言葉の後に記す」と題する丸松商事を辞するに際しての原稿がある。16)手渡し文(6月8日夜記。内容から昭和12年と推測)封書-便箋7枚。丸松商事(および胡桃沢引退)の件の続報。17)切手部分切り取り消印欠(9月6日夕記)封書-400字詰原稿用紙2枚。橋浦泰雄の展覧会の趣意書のこと、「真澄日記 信濃の部」一段落のこと、原稿のこと。18)消印判読困難(9月22日記)葉書-池上が『郷土』をやっていたころと思われる。赤蓑騒動という安曇平の一揆について。