1964-1966。岡本章、岡本太郎。岡本章・岡本太郎(時事通信社)書簡(三友社・北村卓三宛)計6通+岡本太郎(時事通信社)葉書。岡本章は司馬遼太郎担当の編集者?秘書?仕事のパートナー? 岡本章と岡本太郎の関係は不明。住所が同じ。岡本太郎の勤務先は時事通信社となっている。画家の岡本太郎ではない。1)岡本章書簡。消印なし。手渡しの封書。便箋2枚。司馬遼太郎の取材の件、礼状。2)岡本章書簡。昭和39年2月6日・7日消印(速達。2月6日記)。松竹の原稿用紙使用。マス目を無視して3枚。司馬遼太郎がらみの調査報告途中経過。司馬と相談したりしているようだ。北村の依頼で動いているのか? 3)岡本章書簡。昭和39年2月29日・3月1日消印(速達か。2月29日記)。松竹の原稿用紙使用。マス目を無視して3枚。調査費をいただいたことへのお礼と痔の治療のこと。4)岡本章書簡。昭和39年3月5日(3月5日記)。松竹の原稿用紙使用。マス目を無視して4枚。司馬遼太郎の新住所のことなど。5)岡本章書簡(封筒の差出人は岡本太郎)。昭和39年4月16日消印(4月15日夜記)。200字詰め原稿用紙、マス目を無視して3枚。司馬遼太郎との仕事の話。「目下、司馬兄の次の週刊誌小説「島左近」の資料作成を急いでおりますので、「軍艦列伝」「芸道一代記」につきましては、ご相談申上げたく存じております」とある。司馬遼太郎と「昭和史研究」を分担でやることになったとのこと。6)岡本章書簡(封筒の差出人は岡本太郎)。昭和39年4月20日・4月21日消印(速達か。4月20日夜記)。200字詰め原稿用紙、マス目を無視して2枚。司馬遼太郎作品の松竹での映画化に関して、山内静夫が柴田錬三郎にあいさつしたいといっていることに関しての相談。7)岡本太郎葉書。昭和41年年賀状(消印は昭和40年12月30日)。宛名以外印刷。