1951-1971。中西悟堂。中西悟堂書簡(封書)1通+葉書6通(前島康彦宛)(うち年賀状1通、印刷1通)。前島康彦は造園家・東京都建設局公園観光課勤務。本文以外の差出人名はハンコ(封書同封葉書は自筆署名)。1)封書昭和26年4月28日(同年4月27日記)速達(切手欠)-同封物は3種からなる。a)4月12日記、前島康彦、本橋好一連名宛(もともとこの封書とは別に送っていたものか?)「高尾山放送説明」についての了承と現住所の案内。別紙にて地図や交通の案内を自筆で書いている。b)葉書同年4月20日(4月19日記)速達(これも別便で送ったもの)会う日程の調整。c)4月27日記(これが元々同封されていた手紙と思われる)高尾山での鳥探索のラジオ放送の打ち合わせか。中西自身は病気療養中で行けないらしいが、便箋2枚にわたり鳥のことや野鳥の会の知人のこと、段取りなどを具体的にこまごまと記している。2)葉書昭和28年3月23日(3月22日記)-カットに使う冊子を送ったこと、バードデイの歌を2、3日中に送るので山田耕筰に作曲依頼をしてほしいとのこと。3)葉書昭和28年11月10日(同記)-先の葉書で送ったという冊子(『巣箱の栞』)を返してほしいとのこと。4)葉書昭和29年4月15日(同記)-前島が来る日の日程調整。5)葉書昭和29年5月4日(同記)-前島著書贈本へのお礼。訪問するつもりとのこと。6)葉書昭和45年1月9日-年賀状。宛名と「住所表示変更」「昭和四十五年」の文字のみ自筆。7)葉書1971年12月17日(昭和46年12月16日記)-叙勲を受けたことに対するお祝いに対する礼状(印刷)。宛名のみ自筆。