新公論社、1904-1915。櫻井義肇 発行兼編輯人/青柳有美、磯野生、神浦、志賀重昂、坪井正五郎、龍岡先生、板垣退助、根本正、沢柳政太郎、清水橘村、香雪、高島平三郎、幸田露伴、加藤弘之、井上圓了、奥村五百子、平井金三、白雲楼、暮村隠士、栗本庸勝、高谷為之・談、古弦生、小崎弘道、前島密、広井辰太郎、高木兼寛、新渡戸稲造、幸田露伴、堺利彦、木下尚江、野口米次郎、堀内新泉、松村介石、江原素六、山路愛山、侶松女史、杉村楚人冠、高崎春月、トルストイ・作/たけを・訳、山室軍平、後藤宙外、巌谷小波、前田慧雲、島田三郎、笹川臨風、チエホフ・作/山雨生・訳、饗庭篁村、トルストイ・作/青木東光・訳、伊藤左千夫、大槻文彦、岡本綺堂、迂尊外史、宮地嘉六、岩野泡鳴、森田草平、佐治実然、海老名弾正、久米邦武、山本露葉、伊藤銀月、高島米峰、渋沢栄一、加藤咄堂、伊藤痴遊、茅原華山、内田良平、横山源之助、鷺城学人、安倍能成、桐生悠々、溝口白羊、尾山篤二郎 ほか。第19年第2号とあるが、これは実質上、創刊第2号で、年の計算は『中央公論』の前身の『反省会雑誌』から数えたものと思われる。『中央公論』を離れた櫻井義肇が『中央公論』の年号を引きつぐ意識でつけたため。『新公論』の事実上の創刊は明治37年2月でこの前号第19年第1号が創刊号に当たる。第19年第2、9号、20年7〜9号、22年4号、23年1、8〜12号、24年1〜3、5〜9号、25年2〜6、11、12号、26年1号、27年1〜3、6、7、9〜12号、29年4号、30巻2、5、7、11号の計42冊。数冊赤鉛筆書き込み・線引き。20年9号-表紙に破れ穴。22年4号-目次落丁。25年5号-広告切り取り。30巻2号-シミ汚れ。30巻7号-表紙にペン書き込み。数冊印有。数冊記名。一部破損・欠け。