店日記

6月14日

2012年06月14日

新規入力29点です。
古雑誌(明治期~戦後)、中国の法律、日本史、社会、初期「ユリイカ」ほか。

1956年、1957年の「ユリイカ」だが、
1956年11月号の奥付には、「書肆ユリイカ」じゃなくて、「書店ユリイカ」になっている。
印刷ミスだろうか、「書肆」じゃない時期があった?

「ユリイカ」のデザインがかっこよくなるのは、これよりあとですね。
いつからだろう。60年?
詳しい人には周知のことだろうからぼくの無知をさらけ出す必要もない。

57年の巻頭を飾っている「詩人の顔」という写真シリーズがいい。
ほかの場所にこの写真、転載されたりしているのかどうか。
その詩人に対して持っているイメージとちょっと違うところをついてくる。

というようなことをツイッターで書こうとしている。
基本的に違う話題(いまやはり思ったその原則をあるていど守るようにしたほうがいい)
で行こうと思っているが、
ここのところ、ツイッターでもフェイスブックでも書くことがない。
それに加えて、個人の何かも書いたりしていると、
そもそもそんなにいっぱい書けないのに、なに無理してんだと思う。

というより、話題がないというのは、
視線がなくなっているということだろう。
ものを見ていない。
たとえば「素描とは、モデルについての一つの意見であるべきだ。」という部分を引きたくなる(ロバート・ヘンライ『アート・スピリット』「32 素描について」)。

話はずれるが、
「油彩画は、油絵具を使って描く絵だが、同時に素描でもある。油絵具を手にするときも、素描を忘れてはいけない。なぜなら、絵は素描だからである。」(同前。注・「絵は素描」に傍点)というところも引きたくなる。


ホーム | ショッピングカート 特定商取引法表示 | ご利用案内
Powered by おちゃのこネット