店日記

3月14日

2012年03月14日

新規入力30点です。
人物、社会、随筆ほかです。

サッカーがずっと嫌いだった。
のだが、気づいたらそこまで嫌いじゃなくなっている。
どうでもよくなっている。
サッカーが嫌いというのは、やるのも見るのも嫌いという意味だった。

あまりに不器用なため、球技全般にだめなのだが、
足でボールって、できるわけない。
しかも悪いことに体力だけはあったので、
ずっと走りまわっていても大丈夫で、
ほとんど常に「いい位置」にいることができるため、
パスされるのだ。
パスを受けることすらできない(そのままラインを越えたり)、
もちろんドリブルはできない。
(リフティングも最高2回くらいなので)

それはいいとしても、見ているのも嫌なのだ。
野球はいい。
選手のデータを楽しむとか、「ゲーム」を楽しむことができる。
しかし、サッカーにはめりはりがない。
ボールが行ったりきたりしているだけで何を焦点に見たらいいのか、
とにかくはがゆいという思い。
いやだからこそ、世界で愛されるスポーツなのだ、といいたいのかもしれない。
これだけだったら、見なければすむのだが、
サッカーにおいてもっとも腹が立つのは、サッカーファンだ。

一人暮らしで、学生ばかりいるようなアパートが立ち並ぶ場所で、
夜中、
ワールドカップの予選などが行なわれると最悪だ。
あちこちで同時に叫び声が起こり、うるさいというのはもちろんこの場合でなくとも腹が立つが、
この「一体感」にだけは参加したくないという生理的な身震いが起こる。
って結局、怒りを書きつけているじゃないか。

いまは周囲の家でそういうことは起こっていない。
サッカーでむかつくのは、小学校の校庭などで子どもがけっているサッカーボールの音と奇声ということになる。


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