店日記

12月25日

2011年12月25日

最近気になること。
どうもこれは感触にすぎないのだけど、
「幼稚」な論理でものが動いている感じがするのだ。

上杉隆が「週刊・上杉隆」で「堕国論」というのを書いて、ジャーナリスト休業宣言をした。
あいかわらず文章が「幼稚」だった。
批判したいのではない。
ジャーナリストの役目として、
「きちんと取材してそれを人びとに知らせる」というような基本を守り、
それができない環境を摘発しつづけてきた人だ。
そうじゃなくて、ぼくが思ったのは、
もうすこし「人文科学的な苦悩」をしてもいいんじゃないか?っていうようなことだ。

「人文科学的な苦悩」っていっても自分でも何がいいたいのか実ははっきりしていない。
違和感があるということなのだが。
たとえば、小出裕章『原発のウソ』にも同じことを感じた。
原発に関する研究はまともなものなのだろう。
ぼくに検証する力はないが、説得された。
だけど、最後にいきなり出てくる「理想」、
この「理想」自体が悪いとかいうわけではない。
その「理想」が出てくるまでに「人文科学的な苦悩」を通ってないから「理想」が浮いているのだ。

最近、文学の方面でも、「希望」を語ろうという動きが目立つように思える。
いや、まだ文学の方面では、「苦悩」に拘泥しつづけている状態をよしとする雰囲気が残っていて、
「苦悩」しつづけることに不毛を感じた人たちが、
「希望」を語りはじめたのかもしれない。
どうも勘が鈍く、そこらへんよくわからないのだが。
ただ、こう思う。
「希望」は簡単に勝利するだろう。
「希望」だけが勝利する。
みんながあえいでいるのをよそに「希望」だけが勝利する。
そんな気がする。
違うのかもしれない。

「苦悩」でも「希望」でもなく、「具体性」なのかなってふと思うこともある。
だけどやっぱりよくわかんないな。
こうしてふらふら書いていること自体が「具体性」に欠けているわけだし。
よくものを考えられない人の典型だ。
すくなくとも「アイディア」は出すべきかな?
だけど急に「規格外」にあこがれたりして。


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