店日記

2020年9月6日

2020年09月06日

新規入力8点です。
明治・大正期雑誌。

雷雨が来ていた。
いまおさまっているがまた来るんだろうか。

トルコの映画についてのニュースが二本翻訳されていたが、両方ともてにをはがおかしかった。
しかし、そういうことをおかしいといっていられないのかもしれないと思った。
それが標準だということになりかねない感じがあるからだ。
ことばは変化していく、それはわかっているのだが。
ツイッターで鴻巣友季子が紹介している。学術論文の中の論者の文章と引用の文章の区別がつかない学生が増えていると、大学で教えている人がいっていた、と。「読みたいようにしか読まない」と。
ぼくは警鐘など鳴らすつもりで書いているわけではない。
警鐘を鳴らす気持ちにはどこかで「正当」なありかたが信じられていなければならない。
それが消え去りつつある。
以前、短歌の読み方で、「どう考えても普通に読めばこうなる」という読み方を否定する意見が一定数を占めたことに驚いたことがある。
まさに見えているものがどうであれ、「読みたいようにしか読まない」ということがそこにあった。
もう間違っていることは問題ではない。
注文の返信メールにいくら明白に書いても無駄なことだ。
「読みたいようにしか読まない」が標準であり、そういう世界で「伝達」は困難になっていくばかりだ。
というか、ずっとそうだったのかもしれない。


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