店日記

3月28日

2017年03月28日

新規入力22点です。
地方誌、地理、社会ほか。

曇り。
晴れていた。
雨は昨日まで続いていた。

昨日立ち読みした『ユリイカ』掲載、
中原中也賞選評が興味深い。今回の受賞決定はこれまでで一番難航したらしい。去年だって、カニエ・ナハ『用意された食卓』と宿久理花子『からだにやさしい』で争ったと思うが、これはそれぞれをいいと思う人がいて議論がされたということで今回のケースとは違うのかもしれない。
記憶で書くが、『長崎まで』について最初に発言したのは荒川洋治であったが、それも、受賞には至らないかもしれないが、一番面白かった詩集だといういいかただったという。この詩集は、一つ一つの作品は物足らないが、最後の一篇がよく、それで全体に詩を感じさせるものになっている。大半の詩集は、一つ一つの作品ではよくても全体で詩を感じさせるものは稀だ。ということらしい。
井坂洋子は、最初に選んだ3冊のうちに、最後に残る『長崎まで』も『国境とJK』も入れていなかった。自分が大揺れに揺れたというようなことを書いている。最終的に、『長崎まで』と『国境とJK』になったときにも、『長崎まで』ではないと思いながら、『長崎まで』に手をあげていた。
蜂飼耳は、選評の段階になっても、まだ納得しきれていない。いままで詩を書こうとしてきた人たちがやろうとしてきたことをせず、あまりにもすとんと散文であることをどう了解していいのか。一応、理屈をつけて、思うことにする、というように書いていたと思う。
ぼくは、途中までしか読んでいなかったので、そこまで無理にいいと思う必要があるのかと思っていたが、最後まで読んだら違うのだろうかと思った。帰って、また少し読みついだが、不気味だなあと感じた。何をやろうとしているのかわからないのである。選評には、この人は、詩を書こうとしているのではない、書きたいことがあって書いた、それが結果として詩になったとあった。ことばつきとして面白いことを書こうとか、特別な考え方を書こうとか、面白い内容を書こうとか、自分のことを材料にしているわけでもないし、表現として何かをしようとしている感じもない。このようなものを書いていることの動機が見えない。ただ、それだけの特長であれば、よくある作品だろう。それをこれでもかと押しているのが特殊なのだろうか。変だなあ感じもするのだけど、やっぱりまだ最後まで読んでいないし、無理にいいと思うほどなのかなと思う。ただ、選考委員も含め、別のところでも、この詩集が、やたら人を気にならせる、何かよくわからないという気にさせているのには興味をひかれている。


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